Date: Sun, 3 Dec 1995 16:22:00 +0900

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bogomil's CD collection #16          ○○○◎○○○○
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バルトーク:《ミクロコスモス》
小宇宙を体験する

 最近の世の中の風潮を見ていると、何事につけ、何かを自分でする、ということが
少なくなってきている。この傾向は、テレビ番組にもっとも端的な形で見ることがで
きる。たとえば、スポーツ番組。野球にせよ、マラソンにせよ、自分でプレイするの
ではなく、人がプレイしているのを画面で見て、興奮する。マラソンなどは、見てい
るだけで、疲れてしまって、何かこう、自分が走ったような錯覚にとらわれるくらい
だ。本来は自分の身体を動かすことによって感じる何かを、視覚だけから、いわば疑
似体験してしまうのである。

 次に、最近、よく目にするグルメ番組。当初、筆者はグルメ番組というのは、ぜひ
、その店に行きたくなる、という強い効果があるのではないか、と考えていた。確か
に、見た直後は、「行ってみたい」という気になるのだが、その気持ちはすぐに消え
てしまう。で、しばらくして疑問がわいてきた。これもまた一種の「疑似体験」で、
見ただけで、あたかもその店に行って食べたかのような錯覚に陥っており、満足して
しまったのではないか。もしそうだとすれば、グルメ番組は、店の宣伝にはならない
かもしれない。みんな、テレビで見ただけで満足してしまうのだから。むしろ、情報
が表に出ない「謎の店」とか、「知る人ぞ知る」という店の方が、集客力があるのだ
ろう。何事につけ、神秘的で、隠されている方が、興味をそそるものだ。

 さて、こういうふうに考えていくと、テレビは、すべからく疑似体験と錯覚の世界
に私たちを引き込んでいる、といえる。トレンディ・ドラマは、素敵な恋を疑似体験
させ、ミステリー、サスペンス・ドラマは、謎解きと、犯罪の疑似体験をさせてくれ
る。これらすべては錯覚と幻影。よーく考えると、ちょっと虚しくなってくる…。

 音楽はどうだろう。いい音楽を自分で作り、自分で奏で、自分で楽しむことができ
たら理想的。しかし、社会が複雑化するにつれて分業が進み、現在では、作曲家、演
奏家、聴衆というように完全に分離してしまった。考えようによっては、ただ聴くだ
けの「聴衆」というのは、ちょっと寂しい。あまりにも、受動的だ。何か自分で演奏
できれば、音楽にかかわっている実感がわくし、また、音楽から得るものも違ったも
のになるのではないか。

 この意味では、昨今のカラオケブームというのは、いろいろ問題はあるにしても、
とにかく、「自分で歌う」という能動的側面は評価するべきで、のべつウォークマン
で、あるいは自分の部屋で、あれこれ音楽を聴いているだけの音楽ファンに比べれば
、はるかに健全といえるかもしれない。プロでも、作曲家が作った曲を決ったパター
ンで歌うだけの演歌歌手よりも、アドリブのできるジャズ歌手の方が格が上に思える
し、シンガー・ソング・ライターは、本来の意味での音楽家といってよいだろう(た
だし、ほんとうに彼らが自分で書いていれば、の話だが)。

 社会も音楽も高度に発達した現在、すべての人が作曲からやる、というのは無理に
しても、何か楽器を演奏したり、あるいは歌を歌うことは決して不可能ではない。メ
ディアが発達した現在、中途半端なプロは不必要で、自分のために演奏するアマチュ
ア演奏家がもっと増えるべきだと筆者は思っている。

 この「アマチュア」という問題、クラシックのピアノについては、どうだろう。技
術的に簡単なものは、聴いておもしろくない、逆に聴いておもしろいものは、技術的
にむづかしくて、アマチュアには無理、という感じがある。しかも現在、名曲の名演
奏はFM放送やCD、カセット簡単に聴けるから、いくら自分で弾く楽しみがあるとはい
え、簡単な曲しか弾けなければ、ちょっとみじめになってくる。

 ところで、中学生ぐらいになると、受験勉強のためにピアノをやめる生徒が多くな
る、という話をしばしば耳にするが、筆者は受験勉強のせいだけではないような気が
する。そろそろ大人になる彼らを夢中にさせるようなピアノ曲が、今の日本のピアノ
教育で教えられているのかどうか、大いに疑問だからだ。特に教材とされるピアノ曲
が、十年一日、古典派からロマン派あたりの、しかも特定の作品に限定されているこ
とは問題だ。バロック以前と、近・現代をもっと広く取り入れて、選択の幅を広げた
方がよいのではないか。

 たとえば現代の側では、バルトークの《ミクロコスモス》がもっと取り上げられて
よいだろう。この曲集は、さまざまなピアノの表現を駆使している、という点でおも
しろいと同時に、技術的に段階を追って進める、という点ですぐれた練習曲でもある
。ある程度、ピアノを学んだ人ならば、第4巻あたりから弾いていくといい。技術的
に無理なく、現代的なピアニズムを(疑似体験ではなく)本当に自分で体験すること
ができるだろう。今回は、ただ単に聴くためのCDとしてではなく、自分で弾くため
のお手本として、CDを紹介することにしよう。

Discography:
Bartok/Microcosmos Integrale. Claude Helffer, piano. (harmonia mundi
france, HMA 190968.69)

92/08 rev.95/10